曾祖母の危篤から学ぶ優先順位の考え方
9:17 母からメールが届いた。99歳の曾祖母が本当に危ないという内容だった。
私は、会社で社長の話しを聞いていた。27歳にして初めて親戚の死に直面している。
昨日も、母から曾祖母が危ないと言われていた。でも私は、1月に元気な曾祖母に会ったし、ひ孫の私が行くと迷惑になるし、、、と考えて会わなくてもいいと思っていた。
死を見たくなかったのだ。
虫の息である曾祖母を見たくなかったのだ。
しかし、今朝、母からメールが来た時、その考えは変わった。
死んでしまったら、一生会えない曾祖母。生きている曾祖母に会うのは今しかない。
って思った。
しかし、また葛藤が表れる。
【葛藤】
会社をいきなり休んでいいのだろうか。(明後日、休む予定だったのだ)
仕事ほっぽり投げて曾祖母のところに行く私は無責任ではないだろうか
こんな無責任な私に彼は嫌気がささないだろうか(笑)
虫の息の曾祖母に会っても、どうせ曾祖母は私を認識しないだろう。なのに何故会いに行きたいと考えるのか。
色々考えることは多いが、会いに行くことに決めた。
死んでしまう前に、一生会えなくなる前に、一度会いたい。
この思いだけで会いに行く。
昨日決めなかったことにより、会社に迷惑をかけたり、行動に無駄がでてしまった。
今回の決意への反省点は多いと感じる。
さて、今回学んだことがある。
忘れないためにまとめておく。
【学んだ】
■選択を迫られた時に、後悔しない選択をできる環境作りが大事。
仕事なのか。瀕死の曾祖母なのか。
恐らく、この選択肢を迫られた時にどちらを選択するかは、人によって違う。
どちらの優先順位が高いかだ。だいたいの環境において、どちらも選択するというのは無理だろう。日頃から、優先順位を考えることの大事さと再認識した。
■何事にも全力で生きるほうが、死ぬ時に後悔しないんだろうな。
行きた瞬間から人は、死に向かっている。
ただ、私は今まであまり"死"を考えたことがなかった。
なんとなく生きていることが当たり前になっている。
曾祖母は第2次世界大戦時に、空から爆弾が降ってくる中、逃げまわった経験がある。
それに比べれば、今の時代はとても幸せだと話していた。
日本では、先日の熊本県での大地震以来、NewsもFacebookも熊本地震の記事でいっぱいだ。
どんな人生を歩もう。
常々考える。